読売新聞
   「思い切り投げていいんだぞ」。小学4年の男の子の球を受ける体育・スポーツ家庭教師派遣会社「AQUA」代表の小倉和宏さん(34)は、運動の苦手な子どもたちの頼れる“助っ人”だ。パーンという音が、湯河原町の小さな体育館に響く。ソフトボールが2人のグラブの間を行き交う。
   体力の低下が叫ばれる現代っ子。外で遊ぶことが減ったのも一因だろう。だが、いざ外に出てみても、かつての空き地はマンションに姿を変え、コンクリートで固められた路地を車が行き交う……。
   「遊ぶ場所を取り上げたのは、大人じゃないか」。小倉さんはそんな思いを抱きながら、体を動かす喜びをどもたちに伝える。
   両親が共働きで一人っ子のこの男の子に、普段、キャッチボールの相手はいない。塾通いやおけいこごとで近所の友達と遊ぶ時間も合わない時代。運動への苦手意識を取り除こうと、母親が昨年末、レッスンを依頼した。
   男の子の投げた球が大きくそれ、壁を直撃する。その音に一瞬、男の子が身をすくめる。「いい音だったな。その調子だ」。小倉さんは怒ったりしない。子どもの懸命さが分かるからだ。「体育の授業のある日は嫌
い」という男の子が、週1回のレッスンをやめたい、と言ったことはない。
   小倉さんもずば抜けて体育が得意だったわけではない。「ゼロから始めた競技を攻略する達成感が好き」で、サッカー、柔道、スキー、ライフセービングと次々と新しいスポーツに挑戦した。「困難を乗り越え、何かを達成した時の喜びを子どもたちに味わってほしい」と願う。
   投げ合いながら、小倉さんが徐々に後ろに下がる。2人の距離が20メートルほどになると、男の子の投げた球が手前でワンバウンドした。小倉さんが大きな声で叫ぶ。「足を回すんじゃない。球にグーンと力を伝えるには、腰を回すんだ」
   男の子は真剣な表情で構え直し、腰を後ろからひねり出すようにして投げ始めた。5球目。ボールは小倉さんのグラブに届いた。「できた!」。汗びっしょりの顔がパッと輝いた。
   1時間半のレッスンの最後は、一番苦手という縄跳び。二重跳びが続かず、男の子はとうとう尻もちをついて座り込んでしまった。小倉さんが、次回までに毎日10分、練習してくるように“宿題”を出した。すると、男の子が顔を上げた。「やれば、絶対できる」。小倉さんの力強いその言葉に、男の子が立ち上がる。「絶対できる」。小さく自分に言い聞かせ、再び縄を握り直した。
   夏休みもゴールに近づいた。子どもたちにとって、たった一度きりの2006年の夏の様々な経験が将来、どんな実を結ぶのか------。可能性は青空のように果てしなく広がる。